86歳、やっとひとり ~ 母の「サ高住」ゆるやか一人暮らし ~

「何も起きないのが何より」の母のたよりと、「おひとりさまシニア予備軍」(=私と妹)の付かず離れずの日乗。

#36 老後もいろいろ



【ここまでの展開】

「最後は(故郷)〇〇山の見えるホームで暮らすの💗 」 60代前半から”終の棲家”プランを持っていた母がついに行動に出た。気に入った施設も決まり、引越しを経ていよいよ母の”新生活”が始まった。


書き忘れていたが、年が明けて母は誕生日を迎えた。「86歳、やっとひとり」から一つ歳をとって87歳になったわけだ。


ホームでは月に一度、入居者の誕生会が開かれる。
「今月は私を入れて3人だったのよ~。お花いただいて、ケーキも出たけど私は糖分控えてるからちょっとだけにしといたワ。」
ホームから送られてきた記念写真の母は、いつもよりちょっとオシャレをしてちょっと緊張した顔で笑っていた。


ところでこの「お誕生会」というのは、もしかしてホームで唯一の定例「全体イベント」ではないだろうか?
逆に言うと、これ以外入居者が皆で集まる機会が見当たらない。基本、ダイニングでの食事も各種イベントも申込者または希望者だけの「自由参加」。もちろん誕生会にしたところで参加は自由だろうが、とりあえず「全員招待」のイベントだ。


入居前の「ホーム見学ツアー」の回でも書いたが、私も妹も「高齢者施設」というのは住宅施設だろうがデイケアだろうが程度の差こそあれ、日がな一日「む~す~んで、ひ~ら~い~て」的なことを「皆さん一緒に」やっている、否もしかすると「やらされている(?)」ものとばかり思っていた。自室で過ごすのは寝る時くらい!? 一人で自由に過ごすのが好きな母にはそこがネック。そう思い込んでいた。


ところが実際に見学してみると、どの施設も食事のサービスがある以外はほとんど「フツーのマンション」と変わらない。居住者のお年寄りは皆さん「自室」で自分の生活を送り、食事や買い物の送迎、それからたまに開かれるイベントへの参加以外これといった「ソーシャルライフ」が無い様子に驚いてしまった。まったくもって「独立性の尊重」。取りようによっては「放りっぱなし」。


というわけで、我が家の面々にとっては”いい意味”での予想の裏切りからすべてが始まった。入居後数ヶ月を過ぎた今も、塗り替えられた好イメージは変わっていない。


これって私や妹だけの大勘違いだったのだろうか?
もしかして、世の中の「高齢者住宅」や「老人ホーム」のイメージって、相当ズレてない!?


母のホーム入居の話をすると、「お気持ちお察しします」とか「ウチにも高齢の親がいるので、胸が痛みます」とか ”ものすごい同情リアクション”が戻ってきて反応に困ることが少なくない。同居していた妹などは、「『親を捨ててきた』くらいに内心思ってる人もいるだろうから、ホントやりにくいヨ。」だそうだ。そんな時は私も妹も「いや~、本人の希望ですから。」と返しているが、このやりとりからも世のホームに対するイメージ=「姥捨て山」は明らかだ。


「まあ、私には合ってるわ。人それぞれだからそうでない人もいるでしょうけど~。」
母はいたって自然体で我が道を進み、そして気楽な毎日を楽しんでいる。


古いイメージにとらわれているのが、以前の私も含め「世の中全体」っぽいのが、なんとも残念。なんとも歯痒い。
”老後の選択肢”を狭めているのは、自分やまわりの「勝手な思い込み」ってこともあるのかも…。ちょっぴりの反省も込めて、そんな風に思っている。