86歳、やっとひとり ~ 母の「サ高住」ゆるやか一人暮らし ~

「何も起きないのが何より」の母のたよりと、「おひとりさまシニア予備軍」(=私と妹)の付かず離れずの日乗。

#38 決める人、決めない人


【ここまでの展開】

「最後は(故郷)〇〇山の見えるホームで暮らすの💗 」 60代前半から”終の棲家”プランを持っていた母がついに行動に出た。気に入った施設も決まり、引越しを経ていよいよ母の”新生活”が始まった。



2回目の母訪問を「3月」に予定していた。


脚が痛いと渋る「リュウコばちゃん」もクルマなら、と誘ってみることに。リュウコばちゃんは母の妹で今年84歳になる。一緒にホームに入ろうと率先して施設探しを開始してくれた行動派だが、いざ実現の運びとなった時なぜか二の足を踏んでしまった。そして今もエレベーターの無いマンションの4階に一人で住んでいる、「いまそこにある危機」の人だ。


住み慣れた場所や生活から離れるのに気後れしてしまったのか、「”気持ちが向かない” って言ってるみたいよ。」母はとうに諦めモードだ。


ところが2月に電話した時のこと、「私もあの時一緒に行っとけば良かった。今となっては後悔するばかり…。」そんな殊勝な言葉を「二度」も繰り返したので、こっちが驚いてしまった。それならば「今がチャンス!」と思った次第。


「おばちゃん、クルマで行くから一緒に乗って行かない?ママの部屋に泊まってホームの様子見てくるといい。ママも喜ぶよ!」

「でも脚がこんなだし、今はムリだわ。」

は~、また始まってしまった…。


そんなやりとりを何度か繰り返すうち、私はちょっと意地悪な気分になってしまった。


「脚ってこの先少しは良くなる『かも』だけど、その分歳をとることだけは確実だよ。『あの時行っとけば』って繰り返したくなかったら、ママのようにどこかで決めないと…。」

そして口ごもる84歳。


そういえば不動産屋さんの知り合いが言っていたっけ。世の中には「決める人」と「決められない人」がいるだけ。そういう人に「(自分で)決めないと」と言ったところで野暮というか、今のリュウコばちゃんにとっては”酷”なのかも知れない。


では「決められる人間が、決めてあげる」のが良いのだろうか?

「本人の気持ちを尊重」のポリシーとどう折り合いを?


「ママ訪問はXXの予定だから、まあゆっくり考えてみてね。良かったら電話ちょうだい。」


リュウコばちゃんからの電話は無かった。
私も掛けなかった。
上手い接し方を考えているうちに高まってきたコロナの危機で、母の施設を訪問すること自体が怪しくなってきていたのだ。


ああ、またチャンスを逃してしまった。こうして長丁場になっていくんだろうなあ。。。
そんなことを思いつつ、母訪問の日程とニュースの行方を見守った。