86歳、やっとひとり ~ 母の「サ高住」ゆるやか一人暮らし ~

「何も起きないのが何より」の母のたよりと、「おひとりさまシニア予備軍」(=私と妹)の付かず離れずの日乗。

#34 お葬式


【ここまでの展開】

「最後は(故郷)〇〇山の見えるホームで暮らすの💗 」 60代前半から”終の棲家”プランを持っていた母がついに行動に出た。気に入った施設も決まり、引越しを経ていよいよ母の”新生活”が始まった。


正月気分も抜けた2月上旬、関西に住む叔父の訃報が届いた。


90歳をとうに超えていたので驚きはないが、残された叔母(母の姉)と従弟を思うと胸が痛む。長寿を誇るN県出身だけあって、夫婦そろって90代。加えて、長生きのもう一つの理由が“障害を抱えた一人息子”なのだから、いやでも年齢以上にシッカリしていたはずだ。


長いこと会う機会もなかったが、何があろうと飛び切り天然で明るいご夫婦だったので楽しい記憶しかない。母は実家の跡取りである弟にすべてお任せするからと言うが、私はちょうど連休も取ってあったので葬儀に参列することにした。


「超」高齢者の葬式は寂しいものだ。友人知人はもちろん近しい親戚も鬼籍の人か、存命であっても一人の外出も覚束ない。遠方で親戚づきあいも挨拶葉書ていどになっていたことを考えると、ここは「頭数」だけでも足しになりたいと思った。寂しいお葬式だけは嫌だからね。ついでに京都で一泊もすればちょっとした旅行気分も楽しめる。新型ウィルスで中国からの旅行者が減っているというから、いい機会かもしれない。


思えばまだまだ日本も私も暢気だった。あと一ヵ月も遅れていたら参列は愚か「葬儀」そのものも叶わなかったかもしれない。叔父は家族を悲しませないために、時を選んで空に旅立ったのだ。いや、船乗りだった叔父のこと、海の向こうのニライカナイに向けて最後の航海に出たのだろう。


「ありがとう、行ってくれて。本当に良かった。」
東京に帰って報告の電話をすると、あんなに「いいわよ、いいわよー」を連発していた母が、神妙に礼など言ってくれた。だったら最初から遠慮なんかすることないのに。


「おばさんから交通費って10万円も貰っちゃったよ。何度も断ったんだけど、まあ貰ってきた。」
「え~、そう。なっちゃんもまだ頭シッカリしてるわね。良かったわ。」


母にとってはこんな時でも「親しき中にも礼儀」を通す姉が、頼もしく嬉しかったようだ。母にも通じるその流儀、「姉妹だなあ」と思った。
とは言えお母様、家族なんだから、親戚なんだから、「葬式に行け」ぐらい遠慮なく言ってくれていいんですよ。


後日私の銀行口座に母からも「交通費 」が振り込まれた。「姉妹だなあ」とまた思った。