86歳、やっとひとり ~ 母の「サ高住」ゆるやか一人暮らし ~

「何も起きないのが何より」の母のたよりと、「おひとりさまシニア予備軍」(=私と妹)の付かず離れずの日乗。

#52 ホテルライフ!


コロナ下、帝国ホテルが客室99室を「サービスアパートメント」として提供するという。「そう、これこれ!」そのニュースを見て、私は本当に羨ましくなってしまった。「ホテル住まい」は私の老後モデルの理想。昔から、帝国ホテルの淀川長治(映画評論家)や、高輪プリンスの杉浦直樹(俳優)の孤独で優雅なホテル一人暮らしに憧れていた。


スーツケースに収まる程度の持ち物とカラダひとつで、便利でコンパクトな部屋に暮らす。ホテルのジムやプールで軽く体を動かして部屋に戻ると、掃除もリネンの交換もすっかり済んで清潔な香りに満たされている。備え付けのコーヒーメーカーで一服しながらフリーWiFiでメールやネットをチェック、本を読んだり友人とおしゃべりするのはリビング替わりのロビーラウンジ。光熱費もWiFiも全て込みで、お金を出せばランドリーもルームサービスも使える。。。


お金と健康さえあれば「ほぼ理想!」。ただ、料理好きな私にとってキッチンが無いのは牢屋と同じなので、残念ながら帝国ホテルはご辞退するが、この条件にピッタリなのがうちの母。そして彼女にとっても憧れだったホテル(ライク)な生活が、まさに今暮らしているサ高住でのライフスタイルという訳だ。


まだまだ元気なので、掃除も朝昼の食事も自分でこなしているが、先々は色々なサービスやケアもお願いすることになるだろう。それでも「他人に邪魔されず自分を愉しむ自由(=優雅な孤独)」を満喫するのが、彼女にとって何よりの贅沢。それに相応しい終の棲家を見つけた自信がこの一年でつき始めているらしい。おみごと!&羨ましい限りだ。


***


友人のユイちゃんは私と同じ都内独身一人暮らし。いずれは湘南のご実家でお母様と住むことをイメージしているが、”早く一緒に暮らしたい母”と、”まだまだ一人暮らしを楽しみたい娘” の「セメギ合い」が続いている。


「お正月帰ってもあんまりユックリはしてられないわ~。ママが手ぐすね引いてるしw」
「オッチ(私のこと)のところはいいよねー。うちは絶対ムリだわ、他人と一緒に暮らすとか向いてないから。」


そんな話を共通の友人でもある我が妹ミウちゃんにしながら、「“ホーム=共同生活”ってことも無いんだけどねー。まあ、私たちも実際見るまでイメージ無かったからしょうがないけど。」と私。
すると彼女はアッサリと、「あちらは『ユイちゃんと暮らす!』がお母さんの希望なんだから、ウチとは全然別の話だヨ。」


まさにその通り!
”老後は娘と暮らしたい母”と、”老後を海のそばの実家で暮らしたい娘”。
これはこれで見事に親子の未来図イメージが重なっていて尊い限り。


高齢者も色々。老後も色々。
皆、自分が望むように人生を描いてゆけたらそれが何より。
後は高齢者にありがちな「突然の事態」で、ご本人や周りが“急な決断や行動”を余儀なくされる事がないのを祈るばかりだ。年寄りに一日とて(今日と同じ)明日はないのだから。


【ここまでの展開】

「最後は(故郷)〇〇山の見えるホームで暮らすの💗 」 60代前半から”終の棲家”プランを温めていた母が、86歳と10か月、ついに東京に住む私と妹を残しN県に移住した。

予想外のコロナ禍の中、母はホームでの二年目を迎えた。

#51 二度目のお正月


すっかり更新をサボってしまいましたが、このブログのテーマである”高齢者施設で暮らす母の生活”は百年一日の如し。年末~新年といっても、これといった変化はない。予定外と言えば、私と妹の正月訪問がコロナ禍で叶わなかったことくらいだ。


母はことさら訪問をねだる人でもないので、「まあ春頃には何とかなるかしらね~。」

と鷹揚なもので、母も私たちも早々に&アッサリと訪問予定をとりやめていた。


「あけましておめでとう!」


元旦の朝、妹の家から二人で電話をすると、母もさすがに退屈していたのか
「あら~、あと10分掛かってこなかったらこっちから電話しようと思ってたところよ。駅伝見てたけど、」と待ちかねた声。
ひとしきり新年の挨拶と、恒例のお天気のやりとりの後、母があちらで暮らすようになって2度目になる年末年始の様子など聞いてみる。


「今年はクリスマス食事会も24日と25日とあって、私は両方出たからチキンもケーキも2回も食べちゃった!お酒飲む人にはワインも出たし、とっても良かったわよ~。去年のクリスマスとは全然違って、すごく素敵な会だったわ❤️」


調理スタッフが代わったとかで、最近は施設の食事の評判もすこぶる宜しい。去年はコロナで年間行事がほとんど飛んでしまったことから、予算にも余裕があったのかもしれない。


さらには、「新しく来た施設長さんがなかなか洒落者で、その日はいつもとちょっとちがうお洋服で来て、クリスマスソングやサンタルチアとか唄ってくれちゃうのよ。大したもんよ~。私も忘年会ってことで4人で年末最後のカラオケして。。。」云々云々。


何のことはない、私たちの訪問キャンセルなどものともしない訳だ。完全に新しい環境に馴染んで楽しんじゃっている!「去年より素敵❤️」なのは、要は楽しむ余裕が出来たってことではないか?


2019年11月の入居だから、ちょうどワンラウンド/丸一年を過ぎたところでのお正月。初めての環境、初めての一人暮らしで、そこへもってきて想定外のwithコロナ…。母が慣れるまでこちらも多少の気遣いはしたものの、これはもうとりあえず「大丈夫!」の大きいハンコを押してもいいのではないか?


というわけで、今年も、来年も、その次も…、この調子で母が健康で楽しく過ごしてくれることを祈る私と妹にとって、何とも有難く嬉しい年明けだった。


とはいえ「年寄りに明日はない」
今日と同じような明日が来るとは限らない高齢者の一日の重みを思いつつ、今年も母との良い距離よい時間を大切にしようと思います。


ブログにお立ち寄りいただいた方へ、本年もどうそよろしくお願いいたします。


【ここまでの展開】

「最後は(故郷)〇〇山の見えるホームで暮らすの💗 」 60代前半から”終の棲家”プランを温めていた母が、86歳と10か月、ついに東京に住む私と妹を残しN県に移住した。

予想外のコロナ禍の中、母はホームでの二年目を迎えた。

#50 カラフル


「どうせ死にに行くんだから」


ホーム移住に「超」が付くほど前向きだった母にも関わらず、以前はそんな言葉で私や妹を悲しませるというか「イラっ」とさせることがあった。「冷や水」が来るのは母の“新生活”や“趣味の活動”、“新しい友人関係”に私や妹が期待を膨らませる時と決まっていた。


思うに、その頃の母が前向きだったのは自身の「始末をつける」ことであって、余生を「生きる」ことではなかったのだろう。もう「始めたり」「出会ったり」は沢山。後はひっそり死ぬだけ。そう言いたかったのだと思う。


11月にホームでの二年目を迎え、このところ母の気持ちに変化が起きているように感じる。


きっかけは「カラオケ」だ。
お誘いを受けて施設内のカラオケルームを利用して以来、マイクは握らないものの、好きな曲を聴きながら自由に唄う楽しみに目覚めてしまった母は、最近では“一人カラオケ”も楽しむ猛者だ。


マニュアルが無いとかで、最初は人に教わりながら”頑張り屋さん”の母は一生懸命操作をマスターした。スマホも電話機能しか使えず、タッチパネルの押し方にも四苦八苦していた母が、今やカラオケのキーの高さの調節も「あら、カンタンよ~」。最近ではメンドクサイとか言いながら、人に教えてあげたりもしているそうだ。


「数えで88のお婆さんにだって、新しいことが出来たのよ!」
今年「米寿」のお祝いを頂いた敬老の日、母の電話は自慢気だった。


「歌はいいわねー。カラオケした日はぐっすり眠れるから夜中に一度も起きないのよ。」
体調にもいいようで何より。


妹のミウちゃんが送ってあげた「歌本」でレパートリーを増やし、会話に登場するお友達の名前も増えてゆく。単調だった母の毎日がホームの環境の中でだんだん“カラフル”になっていくようだ。東京のマンションで妹の帰りを待ちながら一人で一日過ごしていたあの頃よりも、電話からこぼれる母の声は本当に明るい。


11月訪問の際、私は「布ぞうり」作りのテキストとネットで見つけた簡単な作業台を持参した。以前やってみたいとか言いながら結局腰が上がらなかった母の様子を覚えていたミウちゃんは、「ええ? それって、本人がやりたいって言ってるの??」


「なんか、やる気になってるみたい。刺繍が上手なお婆さんがコロナで部屋で籠ってると思ったら、バリバリ作品作っててびっくりしたとか言ってたから、刺激されたんじゃない?」


その後母からは、「始めるのにアレとコレが足りないから送ってもらえる?」とご依頼があった。ミウちゃんのところには材料の「古布」。私のところには細かいツール類のリクエスト。どうやらヤル気スイッチが入ったらしい。


「子供の頃、藁草履編んだりしてたから、やればすぐ思い出すわよ。指に力が入るか、それだけが心配だけど。」
「へー、指を使うなら“ボケ防止”にピッタリじゃない!」
「二人に布ぞうり編んで、お年玉にしてあげようと思ったけど、少し練習してからだから夏くらいになるかしらねー。」


来年の夏は母お手製の布ぞうりが私たちのルームシューズになるかもしれない。
「古い襦袢をほどこうかと思って…」
赤いカラフルなお草履が届くのが楽しみだ。


【ここまでの展開】

「最後は(故郷)〇〇山の見えるホームで暮らすの💗 」 60代前半から”終の棲家”プランを温めていた母が、86歳と10か月、ついに東京に住む私と妹を残しN県に移住した。
予想外のコロナ禍の中、母はホームでの二年目を迎えた。